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【事故の真相】1998年9月2日、『めざましテレビ』で何が起きたのか?

長友 和季 長友 和季 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

事故が起きたのは、1998年9月2日の午前7時30分ごろ。場所は東京都足立区谷在家にあったビルです。

当時26歳だった菊間千乃さんは、フジテレビの朝の情報番組『めざましテレビ』で中継リポーターを担当していました。事故当日の企画は、火災などの緊急時に建物の高所から避難するための防災器具を紹介するものでした。

番組内のコーナー「それ行け!キクマ」で、菊間さんは避難器具を実際に使用し、5階の窓から地上へ降りる実演に挑戦します。

ところが、窓枠につかまっていた菊間さんが手を離し、降下を始めようとした瞬間、器具を支える金具が外れました。菊間さんは約13メートル下の地上へ落下。下には厚さ約30センチのウレタンマットが敷かれていましたが、腰を強打する重大事故となりました。

中継映像はスタジオに切り替わり、当時の司会者だった大塚範一さんや小島奈津子さんらも突然の事態に動揺しました。約20分後、大塚さんが菊間さんの意識はしっかりしていると説明しています。当時の報道では、フジテレビに視聴者から約850件の問い合わせが寄せられたと伝えられました。

事故の概要については、当時の警察の調べを伝えた報道記録や、2021年のスポニチのインタビュー記事でも確認できます。

【事故原因を検証】避難器具セーフリーダウンの固定フックはなぜ外れた?

菊間アナ事故

菊間アナ事故の原因を考えるうえで重要なのが、使用されていた避難器具と、ロープを固定していたフックの構造です。

使用された避難器具は「セーフリーダウン」

当時紹介されていたのは、火災などで建物内から通常の経路を使って避難できなくなった際、窓などから地上へ降りるための携帯用簡易降下機「セーフリーダウン」です。

当時の報道記録によると、器具は身体に巻くベルトとロープ、腰部分に装着する滑車などで構成されていました。ロープの長さは約30メートルで、滑車によって降下速度を調整する仕組みだったとされています。

ロープそのものは強度を売りにしており、当時の報道では、米NASAが開発した新素材を使用し、乗用車1台を持ち上げられるほどの強度をうたっていたと紹介されています。

固定フックが外れた経緯

事故当時の警視庁西新井署の調べを伝えた報道によると、ロープの先端はビル5階の室内にあった長いソファにフックで固定されていました。

警察は、このフックの固定が完全ではなかった可能性に注目し、原因を調べていました。実演中にロープを支える金具が外れたため、菊間さんの身体を支える仕組みが失われ、落下につながったという経緯です。

ここで押さえておきたいのは、報道されている事故原因が、ロープ自体の破断ではなく、ロープを支える固定部分に関係していたという点です。

一方、フジテレビ側は当時、本番前に菊間さん本人も参加して2回にわたり器具をテストし、安全を確認していたと説明しています。安全確認を実施したという説明と、実際の本番で固定金具が外れたという結果の間には、重大な隔たりがありました。

事故後の報道から読み取れるのは、器具の素材強度だけでは安全を保証できず、設置状況や固定方法を含めた安全管理が欠かせないということです。

なお、当時の警察の調べとして報じられた固定不良の疑いと、製品自体の構造的欠陥が法的に確定したという話は別です。後者まで断定できる公的な調査結果は、今回参照した資料からは確認できません。

【負傷と壮絶な入院生活】腰椎圧迫骨折から2年間のリハビリへ

約13メートルの高さから落下した菊間さんが負ったけがは、決して軽いものではありませんでした。

腰椎圧迫骨折と上半身13本の骨折

事故直後、菊間さんは東京都荒川区の東京女子医科大学第二病院へ搬送されました。当時の報道では、腰椎圧迫骨折と診断され、全治約3カ月の重傷と伝えられています。

さらに2021年10月5日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』では、本人が事故の詳細を振り返り、上半身の骨を13本折ったと明かしました。

落下した瞬間の記憶はなく、次に意識を取り戻したときには集中治療室(ICU)にいたといいます。本人にとっても、何が起きたのかすぐには理解できないほどの重大事故でした。

同番組で菊間さんは、医師から、5階から落ちて命が助かったことに加え、後遺症が残らなかったことも非常に珍しいと告げられたと説明しています。

この内容はスポニチやMANTANWEBも報じており、本人の回顧に基づく重要な証言です。

入院中は身体の痛みだけでなく精神的な苦しさもあった

2021年の『徹子の部屋』で語られた入院生活は、身体的な苦痛だけではありませんでした。

菊間さんは、大好きな仕事に就き、自分にしかできないという思いで走り続けていた時期に、突然ベッドから動けなくなったことを振り返っています。

特につらかったのは、病室でテレビをつけると、自分が担当していた番組に別のアナウンサーが出演していたことでした。仕事から離れた自分の存在や、これまでの努力について考え込み、気持ちが落ち込むこともあったそうです。

身体の痛みについても、ギプスを巻いていてもつらく、ベッドの上に紙が1枚置かれるだけでも痛みを感じるほどだったと説明しています。

治療については、手術をせず、ギプスによる固定で骨がつながったことにも感謝を述べていました。

母親の支えと全国から届いた励まし

入院中、母親は毎日病院を訪れて菊間さんの話を聞いてくれたといいます。一方、フジテレビ関係者の見舞いについては、当初は会える精神状態ではなく、しばらく断っていたことも明かしています。

そんな菊間さんを支えたものの一つが、視聴者から届いた手紙でした。

スポニチの2021年の報道によると、事故後には全国から1万通以上の手紙が届き、千羽鶴も寄せられました。菊間さんは、手紙に勇気づけられ、戻る場所があることが回復への力になったと振り返っています。

リハビリは約2年間に及んだ

事故の初期報道では全治約3カ月とされていましたが、実際の回復にはさらに長い時間が必要でした。

菊間さん本人は『徹子の部屋』で、リハビリに約2年間かかったと説明しています。医師からも、2年間でリハビリを終えられたことは幸運だったという趣旨の言葉をかけられたそうです。

ここで注意したいのは、全治期間、職場復帰までの期間、リハビリが完了するまでの期間は、それぞれ異なるということです。全治3カ月という当時の診断と、約2年間という本人のリハビリ経験は矛盾するものではありません。

事故の翌年には仕事に復帰したとスポニチが報じていますが、仕事に戻った後も身体の回復に向けた努力は続いていたのです。

【事故後の復帰から弁護士へ】菊間千乃の人生を変えたキャリアの転換点

菊間さんは事故後、アナウンサーとしての仕事に復帰しました。しかし、その後の人生は、テレビ局で働き続けるだけではない方向へ進んでいきます。

フジテレビ時代から司法試験を意識していた

菊間千乃さんは1972年東京都生まれ。早稲田大学法学部を卒業し、1995年にフジテレビへ入社しました。

『めざましテレビ』をはじめ、バラエティー、情報番組、スポーツ番組など幅広い分野を担当。若手アナウンサーとして活躍していました。

意外に思われる可能性がありますが、司法試験への挑戦は事故後に突然思いついたものではありません。本人によると、フジテレビ入社時から、アナウンサーの仕事と並行して司法試験に挑戦したいという意向を会社に伝えていたそうです。

その気持ちをさらに強めたのが、情報番組の仕事で感じた限界でした。

MANTANWEBが2021年に報じた本人の説明によると、同じ事件や社会問題を数年おきに報道し、自分も以前と同じような説明をしていることに気づいたといいます。

情報を伝えることで社会が変わることには意義を感じていたものの、自分自身が現場に出て、直接問題を解決する側になりたいという思いが強くなっていきました。

事故によって人生は当たり前に続くものではないと実感したことも、挑戦を後押ししました。つまり、弁護士への転身は事故だけが原因ではなく、以前から持っていた法律への関心と、仕事に対する問題意識が重なった結果だったのです。

菊間千乃の事故後から2026年までの年表

事故から弁護士への転身、現在のメディア活動までを整理すると、次のようになります。

時期 人物・組織との関係 主な出来事
1972年 菊間千乃 東京都に生まれる。
1995年 早稲田大学・フジテレビ 早稲田大学法学部卒業。同年フジテレビに入社。
1998年9月2日 めざましテレビ 生中継中に5階から約13メートル転落。腰椎圧迫骨折などの重傷を負う。
1999年 フジテレビ 事故の翌年、アナウンサーとして現場復帰。
2005年 大宮法科大学院大学 アナウンサーの仕事を続けながら夜間の法科大学院に入学。
2007年12月 フジテレビ 司法試験の勉強に専念するため退社。
2009年 大宮法科大学院大学 法科大学院を修了。
2010年 司法試験 司法試験に合格。
2011年 弁護士法人松尾綜合法律事務所 弁護士登録後、法律事務所に入所。
2022年1月 弁護士法人松尾綜合法律事務所 代表社員に就任。
2026年 テレビ朝日・TBSなど 弁護士業務とテレビのコメンテーター活動を継続。

この年表は、所属事務所のプロフィール、日本広告業協会の著者紹介、日刊スポーツ、スポニチなどの公表情報をもとに整理しています。

2010年に司法試験合格、2011年に弁護士登録

菊間さんは2005年に大宮法科大学院大学へ入学し、仕事と法律の勉強を両立させました。

2007年12月にフジテレビを退社し、2009年に法科大学院を修了。2010年9月に司法試験に合格し、司法修習を経て2011年12月に弁護士登録を果たしています。

日本広告業協会の著者プロフィールでは、2022年1月に弁護士法人松尾綜合法律事務所の代表社員に就任したことも紹介されています。

アナウンサーから弁護士への転身は、単なる職業変更ではありません。情報を伝える側から、法律を使って問題解決に関わる側へと、仕事の中心を移したキャリアチェンジでした。

【菊間千乃の2026年現在】弁護士としての活動とテレビ出演

2026年現在の菊間千乃さんは、弁護士とテレビコメンテーターという2つの立場を持ち、法律の専門知識を社会に発信しています。

弁護士として企業法務・危機管理などを担当

所属事務所や日本広告業協会のプロフィールによると、菊間さんは紛争解決、一般企業法務、コンプライアンス、危機管理、コーポレートガバナンスなどを中心に幅広い業務を手がけています。

企業活動における法的な問題や組織運営の課題に関わるほか、上場企業の社外役員、スポーツ団体や官公庁の委員なども務めてきました。

また、女子中高生やキャリアチェンジを考える社会人女性に向けた講演やセミナーにも取り組んでいます。自身の経験を踏まえ、法律の世界を目指す人たちに向けて情報を発信している点も特徴です。

『羽鳥慎一モーニングショー』の火曜コメンテーター

テレビ出演では、テレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』が代表的な活動の一つです。

テレビ朝日の公式番組出演者ページでは、菊間さんは火曜日のコメンテーターとして掲載されています。弁護士としての視点から、社会問題やニュース、企業に関する問題などを解説しています。

2021年のテレ朝POSTでも、同番組の火曜コメンテーターとして紹介されていました。2026年10月時点でも、テレビ朝日の番組公式ページに名前が掲載されています。

2026年10月時点の出演スケジュール

所属事務所ノースプロダクションが公開している2026年10月27日更新の出演スケジュールには、次の番組が掲載されています。

  • テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』:2026年10月20日放送分の出演予定を掲載。
  • TBS『情報7daysニュースキャスター』:2026年10月31日(土)22時から23時24分の生放送に出演予定。

特に『情報7daysニュースキャスター』への出演予定は、2026年10月30日時点で確認できる最新の所属事務所スケジュールの一つです。

このように、菊間さんはテレビ局のアナウンサーという立場を離れた後も、法律の専門家としてニュース番組に関わり続けています。出演する番組やテーマによって、弁護士としての専門性と、かつて報道現場にいた経験の両方を生かしていることが特徴です。

なお、2026年の出演予定は所属事務所が掲載したスケジュールに基づくもので、個々の放送が実際に行われたかどうかとは区別する必要があります。

【菊間アナ事故に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:菊間千乃さんの事故はいつ、どこで起きましたか?
A1:1998年9月2日、東京都足立区谷在家のビルで発生しました。フジテレビ系『めざましテレビ』の生中継中、避難器具の実演をしていた菊間さんが5階から約13メートル転落しました。

Q2:菊間アナ事故の原因はロープが切れたことですか?
A2:当時の警察の調べを伝えた報道では、ロープの先端を室内のソファに固定していたフックの固定が不完全だった可能性が指摘されています。ロープ自体が切れた事故として報じられたものではありません。

Q3:菊間千乃さんには事故の後遺症が残っていますか?
A3:2021年の『徹子の部屋』で、本人は医師から後遺症がゼロだったことは非常に珍しいと言われたと明かしています。事故による後遺症が現在も残っているという本人の公表情報は確認されていません。

Q4:リハビリにはどれくらいかかりましたか?
A4:本人の説明では約2年間です。事故当時の診断で伝えられた全治約3カ月とは異なり、仕事への復帰後も回復に向けたリハビリが続いていました。

Q5:菊間千乃さんはなぜ弁護士に転身したのですか?
A5:以前から司法試験に関心がありました。情報番組でニュースを伝えるだけでなく、自分自身が社会問題の解決に関わりたいという思いが強くなったこと、そして事故を通じて時間の大切さを実感したことが転身を後押ししました。

Q6:2026年現在、菊間千乃さんは何をしていますか?
A6:弁護士として企業法務や危機管理などを手がけるほか、『羽鳥慎一モーニングショー』や『情報7daysニュースキャスター』などのテレビ出演を続けています。

【プロの結論】菊間千乃の事故が今も語り継がれる本当の理由

菊間千乃さんの転落事故は、1998年9月2日に発生した『めざましテレビ』の生放送中の重大事故です。5階から約13メートル落下し、腰椎圧迫骨折を含む複数の骨折を負いました。

事故原因として報じられたのは、避難器具のロープを固定していたフックの固定不良です。器具の強度だけでは安全を確保できず、実際の設置や使用環境を含む安全管理が重要であることを示す出来事でした。

菊間さん自身にとっても、事故は人生を大きく変える経験になりました。ICUでの治療、入院中の精神的な苦しみ、約2年間のリハビリを経て、翌年にはアナウンサーとして仕事に復帰。その後、司法試験に合格し、弁護士という新たな道を切り開いています。

この経歴から読み取れる要点は3つあります。

  • 事故原因を正しく理解する:ロープの破断と固定フックの不具合を混同せず、当時の警察の調べと報道内容を区別する。
  • 回復の過程を正しく理解する:全治期間、職場復帰、リハビリ完了は別の段階であり、約2年間のリハビリという本人の証言にも注目する。
  • 事故後の人生を継続して見る:アナウンサー時代だけでなく、司法試験合格、弁護士登録、法律事務所での活動、2026年のテレビ出演までを一連のキャリアとして捉える。

菊間さんが事故後に歩んだ道は、過去の肩書や経験だけにとらわれず、自分が社会に対して何をできるのかを考え、行動に移したキャリアの記録でもあります。

2026年現在も弁護士として活動し、テレビを通じて社会問題を解説する菊間千乃さん。1998年の事故は、単なる過去の放送事故としてではなく、その後の人生や職業選択にも影響を与えた大きな転機として記憶されています。

事故から長い年月が経過した今も、本人が語った経験と、その後に積み重ねてきた仕事の実績を併せて見ることで、この出来事の本当の意味が見えてきます。

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長友 和季
デジタルマーケター 長友 和季
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生活情報の編集を13年。省庁の公表資料、自治体の窓口情報、メーカー公式の表示を一次情報として照合し、出典の確認できない数値は載せません。

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